音楽備忘録メモ

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アホガール問題

アホガール」という夏アニメ、これがひどくつまらない。

 

だいたい自分のことを「アホ」と自称する奴が本当にアホでおもしろい奴だった試しなどなく、この「アホガール」も例外なくつまらない。よほど受け手の側がハードルを下げて視聴しないかぎり、愛想笑いすら浮かばないような薄ら寒いギャグ(ですらない何か)の連発。スベりまくりの大惨劇。観てていたたまれなくなってくること必至だ。こんなものを普段からヌルいアニメ観て笑ってる(フリをしてる)オタク共は「wwww」とか草生やしてありがたがっているのだろうか。それこそ草すら生えないってやつだと思うのだが。

 

去年あたりから「声優の言うこと/やること/歌うことはすべて退屈でつまらない」と考えているのだが(もちろん演技に関してはリスペクトしてますよ)、この「アホガール」には声優にまつわるそれら諸問題が凝縮されているように思われる。さも自分達が芸人であるかのように勘違いした声優共のウケ狙い(その実スベりまくり)のゴミトーク&出来損ないコントじみたゴミ茶番、おもしろくもなんともないそれらを愛想笑いでありがたがるオタク共。そして声優の側も自分の発言/パフォーマンスをオタク共が(無理して)笑ってくれるから本当にウケていると勘違いし、さらに増長してウケ狙いのゴミ発言/パフォーマンスを世間に供給していく。「アホガール」から見えてくるのは、そうしたゴミだらけの濁った循環構造の光景だといえる。

Netflixで観るべき(?)日本のアニメ7選

どうしても観たい海外ドラマがあり、遅ればせながら先日ようやくNetflixに加入したのですが、まず驚いたのはその利便性や豊富な作品ラインナップ云々よりも「『ARIA』が全シーズン配信されてる!」ことでした(そこ?)。

まだまだ数は少ない印象がありますが、Netflixには『未来少年コナン』『母をたずねて三千里』などの超クラシック作品から、個人的にこの世で最もアレなアニメだと思ってる『BLOOD-C』まで、なかなか幅広いアニメーション作品が揃っています。

そこで、今回は、そうしたNetflixで配信されているアニメ作品ラインナップから個人的にオススメしたい7作品をピックアップしてみました。

※2016年9月16日時点での配信作品の中から選んでいます。


1.『ほしのこえ』(2002)

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最新作『君の名は。』が飛ぶ鳥を落とす勢いの新海誠監督デビュー作品。
わずか24分のデビュー作でありながら、新海誠という作家の、そしてセカイ系と呼ばれるジャンルのエッセンスが詰め込まれており、新海誠監督のフィルモグラフィーを語る上で絶対に避けては通れない一作であるといえます。
彼女と彼女の猫』のリメイクである『彼女と彼女の猫 -Everything Flows-』も含め、Netflixでは新海誠監督関連作品が網羅されているのが有り難いところです。


2.『イノセンス』(2004)

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これは説明不要かもしれません。押井守監督の代表作のひとつです。

12年前の作品ですが、その狂気じみてるほど精緻に描き込まれた背景美術は今観てもまったく色褪せておらず、「映像作家としての押井守」を存分に堪能できる一作に仕上がっています。

押井守監督作品としては本作の他に実写作品『斬~KILL~』と『アサルトガールズ』、そして押井守が語り手として出演しているドキュメンタリー『VHSテープを巻き戻せ!』がNetflixでは配信されています。

せっかく『イノセンス』があるのだから、本作以外の押井守監督アニメーション作品や『攻殻機動隊』シリーズも今後配信してほしいものです。


3.『とらドラ!』(2008)

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ゼロ年代を代表する傑作ラブコメ作品である『とらドラ!』が、ちょうど今日(9月16日)から配信開始された模様です。

とにかく観ましょう。四の五の細かいこと言わず観ましょう、これに関しては。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』を生み出した超平和バスターズ長井龍雪岡田麿里田中将賀トリオの原点でもあります。すべてのオープニング/エンディングテーマに加えキャラクターソングなど各種関連楽曲を収めたベストアルバム『√HAPPYEND』は一家に一枚の名盤です。

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関東圏では2008年にテレビ東京で『スレイヤーズREVOLUTION』の後番組として『とらドラ!』が始まったのですが、振り返ってみれば、この交代劇こそが自分にとって「90年代の終わりとゼロ年代の全面化」を決定づけた瞬間でした。この時点で『スレイヤーズ』や『新世紀エヴァンゲリオン』は完全にはっきりと「過去」になったのです。


4.『Aチャンネル』(2011)

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現時点においてNetflixで配信されている(おそらく)唯一の芳文社ドキドキ☆ビジュアルコミックス原作アニメ。それが『Aチャンネル』です。

放送終了後にも一部でカルト的な人気を誇り、とうとう新作エピソード制作が決定した『ゆゆ式』と並び、本作もまた根強いファンが「2期はまだか……」と祈念し続けているまんがタイムきらら系日常アニメです。自分も祈ってます、2期。

是非とも本作におけるトオル(CV:悠木碧)のちっちゃくて中性的な魅力に触れて、みなさんも2期が来ることを祈りましょう。コマの端々から艶やかな色気が漂い、読み手を魅了してやまない原作コミックスも併せてオススメです。


5.『未確認で進行形』(2014)

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荒井チェリー原作の同名コミックを、安心と信頼の制作スタジオ=動画工房がアニメ化した本作。かわいくて個性的なキャラクター達が、安定感のある作画でもって活き活きと描かれています。

どのキャラクターも本当に魅力的なのですが、なんといっても三峰真白(CV:吉田有里)に尽きるのではないでしょうか。とにかく真白たんの一挙一動、そしてその「声」の虜になってしまうこと間違いなし。本作は各話のサブタイトルがどれも独特で秀逸なのも特徴的です。「ラブコメの波動を感じる」「これが経産婦だと」といった、サブタイトル史に残るであろう名サブタイトルの数々。
音楽面も充実しており、オープニングテーマ「とまどい→レシピ」とエンディングテーマ「まっしろわーるど」どちらも名曲なので必聴です╭( ・ㅂ・)و ̑̑

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ちなみに今年公開された映画『アイアムアヒーロー』で、ゾンビが街に溢れパニックに陥っている状況下でタクシーに乗った大泉洋が、「テレ東でアニメが放送されている間は大丈夫」みたいなことを言って車内のテレビを確認しようとするシーンが序盤にあるのですが、そのときテレビに映し出されていた作品が本作だったりします。

まさに未確認で進行している状況下で『未確認で進行形』だったわけですね。


6.『グラスリップ』(2014)

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これは……なんなんでしょう。
挙げておいて「なんなんでしょう」ってのもアレですが。でも、こればっかりは「こういう作品です!」と一言で説明できないんですよね。そのトリッキーな展開や演出が放送時に一部ネット界隈で話題となった作品です。

「人類には早すぎたアニメ」。そんな印象をリアルタイム視聴時には抱いたのですが、未だに心のどこかで引っかかり続けている作品です。放送から2年経ちましたし、改めて見返すと何か新しい発見があるかもしれません。というか、これから初めて本作を観る人が果たしてどういった感想を持つのか? 私、気になります。

本作の制作を手掛けているのはP.A.WORKS。この他にもP.A.WORKS作品としては『クロムクロ』『TARI TARI』がNetflixでは配信されています。『true tears』や『花咲くいろは』、『SHIROBAKO』など他作品の配信に今後期待したいところです。


7.『あまんちゅ!』(2016)

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うぴょーっ。
今シーズンの放送作品である『あまんちゅ!』が、もうすでにNetflixでは配信されています。

ARIA』の天野こずえによる同名原作コミックをJ.C.STAFFがアニメ化したのが本作ですが、前シーズンの『ふらいんぐうぃっち』に引き続き、またまたJ.C.STAFFいい仕事してますなぁー、と思わず喝采を送りたくなるエヴァーグリーンな傑作だと思います。ゴンチチの劇伴が作品世界をさらに豊かにしてるんですよね、これがまた。その影響で最近ゴンチチのアルバムをApple Musicで片っ端から聴きまくってる次第です。

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東京から伊豆に引っ越してきたヒロイン=大木双葉(CV:茅野愛衣)が、携帯電話のメモリー容量が一杯になってしまったことで今まで撮り貯めてきた写真=過去の思い出は容易に消去できるデータにすぎないのだと気づき、かつての友人達と過ごした日々をセンチメンタルかつポエティックに回想する第9話「消せない思い出のコト」が個人的には印象的でしたね。「すわ今回の脚本は新海誠ですか!?」みたいな感じで。


というわけで、以上7作品でした。
Netflixオリジナル海外ドラマ『ゲットダウン』や『ストレンジャー・シングス』などを観る合間にチェックしてみてはいかがでしょうか。これからも旧作/新作がガンガン追加されるっぽいので、さらなるラインナップの拡充に期待しています。

新海誠『君の名は。』についての乱文

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新海誠監督の最新作『君の名は。』を観ました。

言の葉の庭』を観て「もう新海誠は終わった……これからは他の作家に期待しよう」と勝手に諦めていた自分も、今回の作品は『雲のむこう、約束の場所』以来の傑作であり、さらには『秒速5センチメートル』を次の次元へと推し進めた、新海誠監督のキャリア集大成であると同時に起死回生の一撃だと思います。

夏休み最後に観る映画として本作を選んだ人はたくさんいるはずですが、個人的に『君の名は。』はこの夏に観たどの映画よりも揺さぶられたし、もし人生最後に映画を観るとしたら何を選ぶ? と問われたら、今なら真っ先に本作の名前を挙げるでしょう。それぐらい素敵な作品でした。

すれ違い続け、ずっと大切なことが言えずにいた新海誠の過去作品のキャラクターの亡霊達が報われて天へと昇っていくのを眺めているような感覚すら覚えた『君の名は。』について、とりとめもなく雑感を綴ります。



※ネタバレ多め



都会に暮らす男子高校生、瀧。
何もない田舎町に暮らす女子高生、三葉。
千年ぶりとなる彗星が降り注ごうとしている日本を舞台に、そんな何もかも対照的な2人がある日を境に入れ替わってしまう事態が発生する、というのが本作の物語の発端なんですが、ものすごい乱暴に一言で要約してしまうと、『君の名は。』は以下のような想いと行動がベースにある映画なのだと言えます。



3.11(に象徴される災害)のとき、もし事前に何が起こるか分かっていれば、あの人を救うことができたのではないか。



より簡潔に言い切ってしまうならば、『君の名は。』とは、みんなで3.11の犠牲を食い止めようとする話であり、そして、救うことができたあの人と再会する話なんですね。



実際に観て誰もがビックリすると思うんですが、彗星、三葉が住んでいる田舎町=糸守町に墜ちちゃうんですよ。
より正確に言うと、入れ替わりが発生する3年前に墜ちていた。
そして、町は一夜にして消滅し、今や誰も住んでいないゴーストタウンと化していることが物語中盤で判明するわけです。
恐らく誰もが3.11を想起せざるをえない瞬間でしょう。


すでに死んでしまっていたんですよ、三葉は。
まだ生きていた頃=3年前の三葉と、瀧は入れ替わって交信していた、と。


予告編の時点で「この2人、実は同じ時間を生きてないんじゃないかな……?」と予感していたんですが(RADWIMPSによる主題歌のタイトルが「前前前世」なのもそうした予感を加速させました)、やはり2人の間には大きな時間のズレがあった。
しかも、過去のどの新海誠作品よりも絶望的に深い時間/距離的な断絶が横たわっていたのです。


つまり、瀧は三葉と入れ替わりながら「死者との対話」を行っていたとも言えるでしょう。
瀧の身に入れ替わりが起こるようになった頃には、もう死んじゃってますからね、三葉。
そうした対話を通じて互いに対する想いを深めていく2人。
でも、ある日突然入れ替わりが発生しなくなってしまう。
そこで瀧は三葉が暮らしている飛騨へと電車で赴く(あぁ~!『秒速~』~!!)のですが、そこで糸守町は3年前の彗星衝突により消滅していたことを思い出し、三葉もすでに亡くなっていると知るわけです。


そして、瀧は、3年前の三葉と再び入れ替わるための手がかりを掴み、現在と過去をリンクさせながら彗星の衝突から町の人々を守ろうとする。ところで、その入れ替わるための手がかりが三葉の口噛み酒ってやつなんですが、自分はこの映画で初めて口噛み酒なるものの存在を知りました。そんな素晴らしい風習や儀式があったんですねえ、日本には。口噛み酒を作るために米を咀嚼し、唾液混じりのドロッとした白い液体を三葉が口から升の中に吐き出す序盤の儀式シーン、あそこは新海誠監督作品史上で最もエロチックな瞬間だったのではないでしょうか。是非とも生写真とメイキング動画が封入された三葉の口噛み酒セットが欲しいものです。


と、口噛み酒の話題はいったん置いておくとして。
つまり、『君の名は。』は、ループ……とまではいかなくとも、はっきりとした「やり直し」の物語なのです。
今度はうまくやってみせる、と。


改めて見ても、かなり無茶な話です。
観る人によっては、あの日のトラウマが蘇り、スクリーンを見つめ続けるのが苦痛なのではないかと勝手にヒヤヒヤしたりします。
終盤で町の人達を安全な場所へ避難させるためにサイレンが鳴り響き、アナウンスが繰り返されるシーンがあるのですが、3.11でそこまで大きな被害を受けたとはいえない自分でも、そうしたシーンはどうしても「あの日」を直接的に思い出してしまい、胸がざわつきます。


もちろん、どんなにフィクションの中で「あのとき、もしも」と空想してみせても、現実で亡くなった人達は誰も帰ってきません。
そもそも「あのとき、もしも」と仮定すること自体ムダかもしれない。
ぶっちゃけ、ありえない。
「ありえないこと」だらけで本作は構成されています。


しかし、アニメとは、そういった「ありえないこと」=奇跡を描いてみせるメディアではなかったか。
あの人はもう帰ってこないけれど、この映画の中では、帰ってくる。
対話することができる。
もう一度、あの人に会いたい。
そう言わんばかりに『君の名は。』は力強い筆致で奇跡を描いています。
「あのとき、もしも」という想いを胸に抱え、キャラクター達は悲劇が起きようとしている「あの日」へ介入し、全力で未来を変えようとする。
その無茶さ、力強さ、荒唐無稽さに自分は最も衝撃を受けました。ここまで大きく振り切ってみせた新海誠作品は史上初ではないでしょうか。
もちろん、これまでの新海誠監督作品にも「あのとき、もしも」な瞬間はありましたが、あくまで「今、このとき」に留まった状態で「あのとき、もしも」と過去を見つめ直して感傷に浸るだけだったのが、いきなり今回は「あのとき、もしも」の「あのとき」へ遡行して「もしも」を実践するわけですから。うわー、新海誠監督、めっちゃ踏み込んでるなー、と。


死者との対話。あれ? そういえば、ちょうど東日本大震災が起きた年にもそんな「ありえないこと」を描いたアニメがありました。
そうです、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』です。
偶然かもしれませんが、『あの花』でキャラクターデザインを務めていた田中将賀が『君の名は。』でも同じくキャラクターデザインとして起用されています。

もしかしたら、『君の名は。』は、『あの花』のヒロインであるめんまが死んでしまう前に遡行してめんまが死なないようにする物語であると形容することも可能かもしれません。
『あの日見た星と君の名前を僕達はまだ知らない』って感じでしょうか(?)。

新海誠監督、きっと『あの花』好きですよね、たぶん。なんか好きそうな感じしますもん。あれも大切なことを言えないまま決定的にすれ違ってしまった少女の手触りを追い求めようとする、実に感傷的なドラマが展開される作品でした。



あと、『君の名は。』で気になるのは、主人公の記憶の問題ではないかと。
っていうか、3年前に彗星衝突事故なんてインパクトのある出来事が起きていたのに、お前、死んでいると知らずに三葉に会いに飛騨に行くまで忘れてたんかい! ようやく現地に行って思い……出した!んかい!みたいな。


確かにこの辺も無茶っていうか、ありえないですよね。
ただ、劇中では彗星事故による犠牲者数が500人と設定されているのですが、この500人という数がこう言っては失礼ですけど絶妙だと感じます。
数万人ならまだしも、数百人規模の被害だったら、数年後にはその事故のことを忘れていてもそこまで無理はない……かもしれないじゃないですか。
まあ、言うても彗星衝突ですからね、彗星衝突。その痛ましい出来事を主人公が途中まで思い出せずにいたのに無理があるのは否めません。


ただ、忘れていたことに関して、主人公ばかりを責めるわけにはいかないんじゃないか、と。
だって、私達も、恐らく本作を観る直前まで忘れていたじゃないですか、3.11や最近の台風による被害のこと。
家を出て、映画館へ行き、席に座るまでに、そういった事象に想いを馳せた時間が一瞬たりともあったでしょうか。
少なくとも自分はなかったです。忘れていました、すっかり。
だって、そんな3.11を想起させるような要素がある作品だとは想像していなかったから、無理ないじゃないか、と言われたらそれまでなんですが。
常に悲劇について考えて忘れないように生きるというのは、難しいです、なかなか。
というか、どうしても人は「忘れること」から逃れられません。
いつかは誰しも忘れてしまう。


ただ、『君の名は。』は決して「忘れること」を責めたり、いつだって悲劇を忘れずに生活するよう観客に促したりはしません。
そういった下手すれば説教じみてしまうメッセージは本作のどこにもありません。


より重要なのは、忘れている状態から「思い出すこと」。
そして、今度はうまくやってみせること。
「あのとき、もしも」を「今、このとき」に繋げてみせること。
3年前の悲劇を繰り返さないように奮闘するキャラクター達の姿を描いた本作は、そういった営みの連鎖を積み重ねていくことが明日をより良きものにし、今度こそ悲劇を乗り越えていくための糧になるのだ、と告げているように思います。


「忘れること」は誰にでもできるとして、難しいのは「思い出すこと」なんですが、これから先、何か大切なことを思い出すきっかけとしても『君の名は。』は重要な作品としてあり続けるーーそんな予感がします。



映画公開直前にテレ東で『秒速5センチメートル』が深夜放送されたのですが、その際に『君の名は。』で主演を務めている神木隆之介上白石萌音新海誠監督に色々と話を伺うコーナーが番組の最後に用意されていました
(余談ですが、この特番では神木隆之介が『秒速~』の聖地=参宮橋を巡礼する場面も放送され、明里と貴樹が最後にすれ違ったとされる踏切で新海誠監督と神木隆之介が対面する演出が施されていたりと、なかなかニクくてお茶目な特番でした)。

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そこで新海誠監督は、こんなことを言っていたのです。


「僕はこれ(『君の名は。』)を作ってる2年間、この作品によって世界が少しでも良くなればいいと本気で願いながら2年間作ってきた」。


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単なる妄言に聞こえるかもしれませんが、『君の名は。』を観る前と後では、この発言に対する印象はがらっと変わってしまうはずです。


ああ、新海誠監督は本気だ、と。